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物語「日本武尊」(上)

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物語 日本武尊〈上〉
目 次



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・主な関係人物のあらまし
・関係系図


 一、 高  屋  宮 ・・・
 二、 紀  水  門 ・・・
 三、 行  縢  山 ・・・
 四、 木  曽  路 ・・・
 五、 浮  羽  邑 ・・・
 六、 弟  橘  姫 ・・・
 七、 草  薙  剣 ・・・


・付録 年表

4頁
6頁
9頁

17頁
57頁
91頁
127頁
167頁
207頁
243頁

279頁
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連絡先:info@nippon-shinwa.com 田中千瑞禾宛


 
※ 実際の書籍には、ルビがついています。
日本武尊のプロフィールについて、例えば『新潮日本人名辞典』を繙いてみると、次の

ように記されている。


 《記紀伝承上の景行天皇の皇子。母は播磨稲日大郎姫。倭建命、小碓命、日本童男とも

いう。力にすぐれ、景行天皇の命を受けて熊襲征討に向い、熊襲の首長、川上梟帥の宴に

女装して入り、梟帥を討った。この時、梟帥に賞され、日本武皇子の名を得た。その後、

東国の蝦夷が乱を起すと、その平定に双子の兄大碓皇子を推したが、皇子が隠れてしまっ

たため、再び尊に命が下った。尊は伊勢神宮を拝し倭姫命から天叢雲剣(後に草薙剣)を

授けられたが、これは焼津で賊の放った火から逃れるのに役立った。上総に渡る時は、馳

水(浦賀水道)で弟橘媛を犠牲にするなど、苦労したが平定し、帰途、尾張で宮簀媛と婚

した。ここで五十葺山(伊吹山)の荒ぶる神を鎮めようとして逆に病を負い、伊勢に入り

能褒野で崩じた。天皇は尊を能褒野に葬ったが、白鳥が飛び立ち河内旧市邑(羽曳野市古

市)に至ったので、ここにも陵を作ったと伝える(字句一部訂正補充)》。


 結局、日本武尊は伊吹山で病をえたのが原因で伊勢の能褒野で崩じたのであるが、その

遠因ともいえるものは、武器を何も持たずに素手で、それも独りで伊吹山へと出かけたと

いうところにあった(かと思われる)。武器も携え、部下の数人も連れていたなら、そん

なに簡単に生命を落とすことはなかったであろうからである。


 なぜ素手で独りで出かけたのかについては、軽率であったからというほかはない。そん

な粗忽なところが尊には確かにあったのである。つまり、そそっかしいということである

が、そうであったからこそ、伊勢の神宮へ叔母の倭姫を尋ねたとき、叔母は、どこまでも

慎重になされませ、と諭したわけである。


 もともと陽気で明るく明けっ広げな天真爛漫、天衣無縫の性格であったようである日本

武尊は、一方では怪力無双の豪傑であり、義を見てせざるは勇なきなりの見本のような正

義感をも併せ持っていた。といえるのも、怖じけづいて逃散した兄の代りを、すぐに引き

受けて立ったからでもある。


 しかし、そのそそっかしさが生命を落とすという悲劇を生むこととなった。が、そそっ

かしさによる悲劇は、それだけではない。馳水(走水)の海で弟橘媛を失う結果となった

のも、その主因は尊の粗忽さにあったかと思われもするからである。馳水の海を見た尊は、

高言しては《こんな小さな海、跳び越えてでも渡れる(是小海耳可立跳渡)》と、後先を

考えることもなく、いかにも軽率に述べたのであった。


 心のうちで思っても口には出さず、叔母の諭しにあるように、慎重にしては、深く秘め

ておけばよかったものを、それも大きな声で海へ向かっては神をも恐れぬ姿勢で叫んだの

であろう。相手を軽く見たのが、このときの悲劇の始まりであり、そんな尊の勇み足を償

うのは自分しかいない、と悟るしかなかった弟橘媛も、立派といえば立派な人格であった。

妻たる自己の生命を犠牲にして、夫君たる尊の生命を救おうとし、救ったからである。


 相手は軽視された海の神さまという神さまが出てくる話となっているところより、そん

な話は理屈にあわない、従って、子供すら騙せない幼稚で無意味な話である、と一笑にふ

す向きもあることであろう。が、一笑にふしていると足元をすくわれないとも限らないの

が、この話の神髄である。


 ここで海の神といっても、西洋でいうポセイドン(ネプチュウン)などといった神では

ない(それはそれで、話としては受け入れえても、どこまでも異国のことである)。ここ

でいう神とは、この列島にしかない、この列島の地に固有に存在して初めて意味のある神

さまであるということである(渡ってきて土着化すれば、どの程度の意味を持つか否かは

今は措く)。


 東京でも大阪でも、成田山へ参って戴いたステッカーを自動車の窓なりに貼っているの

はなぜか、貼っていて、しかも心ならずも交通事故に遭うのはなぜか、さらに、不幸にし

て交通事故に遭うたところで、改めて成田山へ文句をいいに行かないのはなぜであるのか、

というようなことがある。それは結局、神さま(の加護なら加護)が至らなかったからで

はなく、運転していた自分に至らないところがあったからである、と自然な形で納得する

からである。


 従って、叶えられないことがあってしかるべきと、あらかじめ納得しながら祈っている

わけである。半信半疑で祈っているのではなく、半信半諦で祈っているということであろ

う。しかし、神さまに対しては《祈り》というよりも《感謝》ということであるという。

それなら神社に祈祷殿があり、祈ってくれるのはなぜかということとなるが、あれは皆が

祈って戴かないと物足りない思いがするので祈っているのであろう(一方に神楽殿という

ものもあり、そこで巫女さんが舞うてくれるのは、祈りというよりは、紛れもなく感謝の

意の徴かと思われる)。


 祈って結局は頼むというのは、考えてみれば厚かましいことで、祈って頼み何か御利益

を戴こうというのは見苦しく浅ましいものである。そんなことをしなくても、神さまは常

に見ていて下さっていて、その常に見ていて下さるということに対し感謝すればよろしい、

それで充分であるという具合に、この列島における神さまのあり方はあるのでもあろう。


 成田とはよくいったもので、成り成りて成れる田すなわち成れる国(田とは国土の枢要

部)、つまり誰かが建てた国(建国)というのではなく、自然と肇まった国(肇国)とい

うのが、わが国の肇にほかならない。国を肇めたのは神武天皇ではないかということとな

るが、神武天皇にしても自分が肇めた国というよりも、神が肇めた国を神の意のまにまに、

はからずも自分が預かる形になっているという認識であったのでもあろう。


 神が肇めた国であるところより、神武天皇には日向より東へと進んでは、倭(大和)へ

と遷ったにしても、先住の人らと共存する認識はあっても、何が何でも武力で制圧しよう

などというような意図は、初めからなかったはずであり、というのも、神意に従うての東

遷であったからである。


 そんな成り立ちの国であるのを、日本武尊には知ってか知らずか、西に東に遠征しては、

武力が必要なところは武力で、武力を必要としない場合でも、武力を背景に持っては帰順

させていったようである。が、それは日本武尊の出身地の倭(大和)より観ての話であり、

遠征される側の西の国々(はともかく)、東にある国々には、非常に迷惑な話であったに

違いない。倭に帰順しなければ、日々の暮らしが立ち行かない理由も、特段なかったであ

ろうからである。


 従って、多くは衝突し戦争となっていくほかなかったであろうが、東の地にしても、ま

た西の地にしても、簡単には倭(大和)に服属することはなかった。それは奈良時代の大

伴旅人の隼人征討、平安時代の八幡太郎義家の奥州ノ役あたりを見ても諒解されよう。


 さらに下っては、幕末維新の奥州列藩の抵抗ということもある。単に幕府に忠誠を尽く

すということだけでなく、遥かな昔より伝統的に倭(大和)には対抗してきたという深層

下での血の騒ぎのようなものがなせるところのものであったのでもあろう。結局は文化の

違いであり、露骨な対立は勿論ないが、それは沖縄あたりをも含め、今もそうであろうと

いえるではあろう。


 従って、いずれ連邦制に移行するようなことがあっても不思議ではない(旧に復して幕

藩制というのは藩が細かすぎて現実的でないが、今もそうであるように、幾つかの旧藩は、

これからも文化の担い手の核として機能していこう)。それは、米国やドイツなどのよう

に連邦政府があって、その世話人のもとに自由に独立した地方(邦)があるという構図で

ある。


 そんな文化というものの事情であるが、日本武尊の遠征に意義ありとすれば、諸国相互

の文化の往来の道を拓いたというようなところにも求められよう。それほど各地各方面に

日本武尊の伝承や伝説は伝えられている。しかも、尊には異郷の地でしかない土地にあっ

ても、尊が好意的に受け取られているのは重要な点であり、これは、やはり尊の威徳のな

さしめるところによるものかと考える以外にはないこととなろう。嫌われていないどころ

か、いわば侵略者を尊んでいるのである。


 そのような日本武尊の三十年という、決して長いとはいえなかった波瀾万丈の数奇な生

涯を、以下、物語ふうに記していく次第である。



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 二、 紀  水  門 ・・・
 三、 行  縢  山 ・・・
 四、 木  曽  路 ・・・
 五、 浮  羽  邑 ・・・
 六、 弟  橘  姫 ・・・
 七、 草  薙  剣 ・・・


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