日本の神話
大好評!一週間で合計150名の方に読者登録を頂きました!多謝! |
物語「日本武尊」(上) 一、高 屋 宮
■立ち読みコーナー
一、 高 屋 宮 |
※ 実際の書籍には、ルビがついています。 |
一、 高 屋 宮
景行天皇の十二年(西暦二六二年。とする理由は後述)秋八月十日、大足彦忍代別天皇
(景行天皇)には、筑紫への出御を前に、石臼を背にしては、日代宮の一隅に設えられた
産屋の周りを、何度となく周回せざるをえない羽目に陥っていた。
というのも、皇后には産褥のうちにあったのであるが、予想以上の時間を費やしていた
からである。それは、このときの御子は双生児であったからであり、従って、天皇の背に
臼を負う時間も、それ相応に長くなるのも仕方のないことであった。
重い石臼を背にして、産屋の回りを出産が終るまで、父親が巡り続けるというのは、あ
るいは、母親の出産の苦労を、せめて父親も等分とまでは到底いかないにせよ、多少とも
倶にするというような考え方があったからであろう。出産の大変さというものは、男の理
解の及ぶところではないとのことである。
「無事、お生まれになりました。皇子で、お二人でございます」
産屋より女官が走り出てきて、大足彦天皇に申し上げた。
「二人の皇子・・・・。それで背にした臼も、相当に重たかったのであるか」
天皇は、やれやれといった表情で、背中の石臼を降ろしたのであるが、
「さっそく、この臼で祝いの餅を搗け。出陣の皆にも配ってやれるように、多く搗いてや
れ」
かたわらに侍っていた腹心の武諸木に、天皇は息を弾ませながら指示した。
「畏まりました。・・・・ときに皇子の御名は何となさいますのでございますか」
「皇子の名であるか・・・・」
そのまま秋八月の天空を仰いでいた大足彦天皇であったが、ふと眼前に眼を落として今
まで担うていた石臼を認めると、莞爾とした笑顔を浮かべては述べた。
「二人の皇子の名は・・・・大碓、それに小碓と名づけよう。この石臼のように、どっしりと
落ち着きのある、ものに動じない堂々たる人物に育っていくように」
それで兄の方を大碓皇子、弟の方を小碓皇子と呼ぶようになっていったのであった。
そんな皇子の出生を見届けて一息ついた十五日、大足彦天皇は数日前、留守番役に紀伊
国より呼び返していた屋主忍男武雄心らに見送られながら、難波の津より船団を仕立てて
は瀬戸内海を西へと、差し当っては吉備穴海を目指し出航していった。
武雄心は九年前の春二月、天皇の名代として紀伊国へ派遣され、そこの阿備柏原(今の
橋本市柏原か)で諸々の神祇(天つ神と国つ神)をまつったのであるが、紀菟道彦の娘の
影媛を娶っては、そのまま定居していたのであった。また、天皇には吉備国へ取りあえず
向かうというのも、そこが岳父つまり皇后の播磨稲日大郎姫の父の吉備稚武彦の国であっ
たからである。
秋八月なかばの瀬戸内海東部の西の空は青く澄み渡り、右舷に務古の山なみ、左舷には
黒々と淡路の島影が鎮んで見えていた。夕闇が迫る頃、赤石大門(明石海峡)を眼前にす
ることとなったが、兵三百を載せる天皇の船団は、海峡通過は明日のこととして、海峡東
端至近の大和太の浜辺へ船を着けることとした。
大和太の浜辺とは今の神戸市の和田岬かとされているが、『万葉集』巻第六(全巻雑
歌)の末尾に、大和太の浜を詠んだ田辺福麿の一首が反歌の一としてある。
浜清み浦うるはしみ神代より千舟の泊つる大和太の浜
田辺福麿は大伴家持と同時代人で、船や海の歌が比較的多い歌人である。
翌日。八月なかばの大潮の強い引きに乗って、天皇の船団は無事に赤石大門を西の播磨
灘方面へと抜け出た。赤石大門といえば、何といっても『万葉集』巻第三の雑歌に載せる
柿本人麿の次の一首であろう。
ともしびの明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
ともしびのは明石の枕詞であるが、何となくうら寂しく心細い感じの出ているあたりは、
第三句の入らむ日や、次句の漕ぎ別れなむ、終句の家のあたり見ずと、次々に呼応し合う
ていき、さすがに人麿の人麿たる調べ、陸離たるものが窺知される。
海峡を西へと抜け出ると、右舷に広がる野は、播磨稲日大郎姫皇后にゆかりの稲日野で
ある。この稲日野を詠んだ一首は、順序が逆の形で、明石大門の前に置かれている。
稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ
行き過ぎかてにの《かてに》は、《・・・・してしまいにくい》の意で、ちらりと見て通り
過ぎるには勿体ないと思っているうちに、早くも加古川口の島、つまり心恋しくさせる洲
が見えてきたという。家郷の恋しく忘れ難い思いの明石海峡通過ではあったが、その心細
さも越えてしまうと旅の空で、日常の感覚の急速に消えてしまうのは、今も昔も変らない
心のあり様ではあった。
それで何が心恋しき加古の島なのかといえば、やはり人麿は播磨稲日大郎姫皇后の故事
を知っていて、それに思いを馳せては、大いに期待しもしていたようである。皇后の生ま
れ育った土地の稲日野と、皇后の葬られている加古川流域の日岡の地、その地は直接には
見えないため、せめて、その日の泊地であった(かと思われる)加古川の河口、そこに浮
かぶ島を眼にしては、皇后のありし日々を偲ぼうとしたというのでもあったのであろう。
・・・つづく
|
|
忘れかけていた日本人のこころを呼び覚ます物語を日本の神話として、書き下ろします!
日本書紀・古事記・万葉集を参考しています。
メールアドレスを入力してボタンを押すと登録・解除できます。
(マガジンID:0000145851)
メールマガジン登録
Powered by 
|
第二弾!
メルマガ発行決定!
「斬る!時事問題の
トリビア・コラム!」 |
政治・経済・外交を中心に、ちょっと角度を変えた歴史的視点から、日本の世を斬る!
「へぇ〜」と感じる人も、「残念!?」と感じる人もいるかも(-_-;)。
週刊時事ネタ。
(マガジンID:0000146260)
メールマガジン登録
Powered by 
|
大好評!
メルマガ第三弾!
「万葉集」より、
額田王
柿本人麻呂
大伴家持
メルマガ発行決定! |
万葉集で有名な額田王、柿本人麻呂、大伴家持の歌集の謎に迫る!
万葉集関連の書籍ではかなり出版されているが、
著者の見解により、新しい角度で万葉集を解き、”万葉三代紀”を描いています!
第一弾は、額田王!
その後、柿本人麻呂、大伴家持と続きます!
乞うご期待!
(マガジンID:0000147008)
メールマガジン登録
Powered by  |
▼古代天皇物語書籍 |
日本武尊(上下)
仲哀天皇
神功皇后(上下)
応神天皇
仁徳天皇(上下)
履中天皇
|