物語「応神天皇」日本の神話を物語として、著者 田中繁男が書き下ろす!日本の神話や万葉集を参考にメルマガも発行します!
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物語「応神天皇」

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物語 応神天皇


 応神天皇(おうじんてんのう)は仲哀天皇の第四子である。

 生母は神功皇后であり、母の胎内にあって新羅へと往還したが、帰国直後に生まれた(仲哀天皇9年。庚辰。西暦320年)。父の仲哀天皇の亡くなった年の冬に生ま れたわけである。

 神功皇后が、仲哀天皇のほかの三皇子を差しおいて、皇后所生の皇子 (応神天皇)を即位させたいと願うたのも、この皇子が胎内にあって、 神の加護のもと、新羅往還を果たしたということが大きな支えとなって いたかと思われる。

 それで神功皇后は摂政となり(辛巳。西暦321)、皇子の成長を待っていたのであるが、皇子が11歳となったとき即位して応神天皇となった(摂政10年。庚寅。西暦330年)。しかし、応神天皇は年少なので、生母の神功皇后は摂政を続け、実質的に政務を執り行っていった。従って、神功皇后の摂政10年以降は、応神天皇朝と神功皇后摂政期とが《並存》して いたわけである。

 それを「日本書紀」では、巻第九に神功皇后紀を立て、巻第十に応神天皇紀を立てるので、明言はしていないが、あたかも神功皇后崩御後に応神天皇は即位した、という恰好に見えるようになった。

 それに神功皇后崩年は己丑であり、応神天皇の即位元年は庚寅であった。干支は己丑庚寅と続くので、己丑に神功皇后崩御、翌年の庚寅に応神天皇即位は、干支の上で見る限り矛盾はなく、自然な形に見える。 これに気づいた「日本書紀」編纂者らは、歴史を少しでも長く見せたいと思うあまり、干支の序列性を利用しては、並列であったものを直列で あったかのように見えるように、巻を立てたのであろう。

 それで神功皇后摂政期の事績の多くは応神天皇朝と重なり、そのうちでも重要なものは、神功皇后の摂政49(応神天皇40年。己巳。西暦369年)に記す《百済の頼みで新羅を撃つ》ということである。百済との誼は王仁博士の来朝(応神天皇16年。摂政25年。乙巳。西暦345年)に象徴されるが、その危機を救い、それに百済が感謝して七支刀を作った翌年(41年。摂政50年。庚午。西暦370年)応神天皇は崩御した。

物語 応神天皇

■ 書籍の感想


「物語 応神天皇」
   根屋 雅光 様


 昨年より日本神話に興味をもち、神話にまつわる関係神社を参拝させていただいています。

 とりわけ小生は八尾市志紀町に在住しているものですから、奈良・大和は近所ですから折りにふれてといいながらも、月1回程度ですが。

 「応神天皇」の大和・難波・河内・滋賀・淡路方面での行幸に関する記述に、頭の中で地図と風景を浮かべながら(ほとんど訪れた土地ばかりのため)、まるで応神天皇のお供をしているような気分で、とりわけ志紀や弓削が登場するとは驚きで、最後まで読ませていただきました。

 ただ、朝鮮との交流がこれほど盛んであったことには少しばかり驚きでした。古代朝鮮との関係をもう少し勉強してみたいと感じた次第です。

 最近では「神さふる生駒高嶺」を毎日眺められる幸せを感じながら、田中先生の他のご本も拝読させていただきます。

 小生の居住地より少し南へ行ったところに、「応神天皇」の御陵があります。その付近は、今は羽曳野市誉田という地名があります。当時は「応神天皇」の御尊称でないことはわかっていましたが、「誉田別天皇」であることを知り、その地を今「誉田」と呼称していることが理解できました。「ほんた」が今の言葉で「こんだ」というのですね。


「物語 日本武尊 <上>」
ペンネーム:みやこまる 様


 記紀などの資料をもとに歩かれておいでになるご様子に感服し、さらに3・4世紀ごろの日本各地の豪族をふまえてのご構想に興味をそそられ一気に読み終えました。

 私事になりますが私は物心ついて以来昭和19年(旧制中学4年)の10月父が亡くなるまで京都に住み、その後父の郷里の群馬県の渋川という町(当時)に帰りましたが、そこで、その町を流れ利根川に合流する川を吾妻川といい、吾妻川が北西から流れてくる地域が吾妻郡であることを知りました。

 また編入しました中学の校歌も「炎の山の鎮まりてあけし国原上つ毛の遠き昔をそのままに・・」という歌詞ではじまり、この国が上毛野国であること、そして先生もお書きになっているように群馬県人は東国人であることに誇りを持っているようにおもいました。吾妻というのは日本武尊が弟橘姫を想い云われた「あずまはや」の言葉に源があるといいます。関西に住んだ時には東征する尊の後姿を眺めている感じでしたが東国に住んで群馬県人を身に感じるにしたがって正面から迎える感じで見るようになりましたが、さて、地名は残っても足跡はわが吾妻郡にはないようです。

 その後、進学後は東京に住み定年まで忘れていましたが、日本の現状などを思うとなんとなく古代の日本を見直して考えてみようかと思っているところにさいわい先生のご著書を頂戴した次第ですが、残念ながら上巻はいよいよわが毛野の国を含む東国に入るところで終わり、是非下巻を読みたいと思っております。


「物語 日本武尊 <下>」
ペンネーム:みやこまる 様


 下巻についてはなおいろいろ興味をもって読ませて戴きました。

 まず、尊が埼玉県にはいって最初においでになった社が所沢の中氷川神社だというところで「おやっ」とおもいました。私の二人の孫(3歳と1歳の男の子)が住んでいるのが所沢で中氷川神社はお宮参りをした氏神さんです。毛呂の出雲伊波比神社は私の友人の住んでいる町にあり、暖かくなったら一緒に連れて行ってやるといいます。

 群馬では関東平野がつきるあたり東に富士山に次ぐ裾野を持つ赤城山西に榛名連山、北には子持山、その向こうに谷川岳、やや東北に武尊山、榛名と赤城の間を流れる利根川、これが私たちの上毛野国であり、萩原朔太郎も「わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けり・・上州の山は見えずや」とうたっている上州なのですが、よくこの展望を日本武尊の目を通してお書きになっていると感心いたしました。

 私事ですが、子持神社には祖母が私が丈夫に育つようにと願掛けしてくれたと昔聞きました。このたび先生の「日本武尊」を通して我が家と古代の先祖たちとのつながりをあらためて強く感じました。神奈川の二ノ宮にも吾妻神社があることや、武尊山の頂上に日本武尊の像があることを友達たちが教えてくれたり、みんな心の深層に共通のなにかを持ち続けているのだとおもいます。


※ご感想、誠にありがとうございました。

   
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